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  媛媛講故事―75

怪異シリーズ 44             白狐」
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 具体的な時代,場所ははっきりしませんが、中国の、ある都から150キロほど離れた寒山県というところに伝わった物語です。

 寒山県のある町の南に寒山という山があり、その山には一宇の古い寺がありました。お寺の名前は、「寒山という山にある寺」という意味で寒山寺と名付けられていました。

 ずっと前から、寒山寺には妖怪が出入りするという噂話や、白い狐が現れるといった噂が伝わっていました。長い間にそのような怪しい噂話が広まって寒山寺を訪れるものも少なく、ひっそりとした淋しいたたずまいの寺でした。修業するお坊さんの数も段々少なくなって行き、とうとう歳を取ったり体が丈夫でないお坊さんだけになってしまいました。

 ある時、柳という書生が都での科挙の試験に落第して古里へ帰る途中、寒山寺の近くを通りかかりました。実は柳書生は既に30歳近くなっており、今回が3回目の落第なので深く沈み込んでいました。しかもさらに悪いことに、身に着けた金銭を旅の途中ですっかり盗まれて無一文になり食事もままならず、心も身もともに疲れ果てて今にも倒れそうな状態でした。そんな風でしたので、近くに寒山寺という寺があると聞き、一泊でも良いからそこで泊まろうと心に決めてよろよろと這うようにして寒山寺にやってきました。

 その昔、科挙の受験生は受験の道中でよく寺院で宿泊しました。静かで読書ができる上、お坊さん達は善行を重ねる目的もあって無料で食事と泊を提供してくれたのです。

 柳書生はやっとのことで寺院の門をくぐると張り詰めていた気持ちが緩み、心身の衰弱から倒れてしまいました。如何にも歳を取った風のお坊さんが、熱いお粥を持って来ると柳書生に食べさせゆっくり休ませました。暫くすると柳書生はだんだん元気を取り戻して来、この旅で遭遇したことをボツボツとお坊さんに話し始めました。お坊さんは彼が遭遇した様々な苦労を聞くと柳書生にいいました。

 「お元気を取り戻されて何よりです。しかし、まだ十分回復していないご様子に見受けられます。暫くここで泊まって養生されては如何でしょう。ただ、ここではじゅうぶんなおもてなしはできませんが。それにここには妖怪や白狐なども住んでいるという噂も聞いたことがおありでしょう。それでも大丈夫ならということですが」

 「私は恥ずかしながらあわや死ぬかもしれないようなありさまでした。温かいお心遣いを頂き生き返りました。ここでしばらく養生させていただけることはこの上なく有難いことです」

 柳書生はお坊さんのことばに安心して暫く寺院に滞在し身体の回復を待つことにしました。一か月ほど滞在する内に段々元気を取り戻して来ました。

 この間、寺院のお坊さん達は皆親切に柳書生の面倒を見てくれましたので、柳書生はそのお返しをしたいと思い、水墨画を描いたり書を書いたりして町で売り、また文字を書けない人々の文書作成を手助けして得たお金を寺院に生活費として渡したりしていました。そんな日々を続けていたある日の夜、柳書生は部屋の入り口を開けたまま本を読んでいますと、人の気配をふと感じました。 頭を上げてみますとなんと入口のところに白い服の、若く美しい女性が立っています。書生は吃驚するとともに寒山寺には妖怪が出るという噂を思い出しました。

 「あ、あなたはどなたですか? も、もしかしたらこの寺に出るという妖怪のお仲間ですか?」

 と、その女性に問い掛けました。すると

 「私は狐です。でも怖がらないでください。私は人間に害を与えるようなことはいたしませんわ。あなた様が毎夜、寂しくお一人で勉強されていらっしゃるご様子を拝見してお気の毒に思っておりました。今夜はちょっとした料理を用意しましたので、ご一緒に頂きませんか」

 と女性が答え、手に持った籠から幾種類かの美味しそうな料理を机に並べました。

 優しく微笑みながら話す女性の言葉に柳書生はひとり頷いて、「そうなのだ。妖怪や、狐の話はいろいろ聞いているが、人間に悪さをしたり乱暴をする話は全然聞いていない」と考えました。そして、目の前に並べられた、これまで味わったことがないような上等な酒や、美味しそうな料理に強く惹きつけられ、最初に感じた恐怖感もどこかへ去ってしまいました。そして彼は料理の方を向き、唾を呑み込みながら箸を取りました。

 「お名前はなんと言うのですか。この近く住んでいるのですか」

 書生は食べながら訊きました。

 「はい、寺院の隣に住んでいるのです。名前は、そうですね。とりあえず白狐と呼んで頂いても構いません」
 それ以後、白狐は2、3日毎に必ずやって来るようになりました。
 白狐の容貌は柳書生がこれまで出会ったどの女性より一際美しく端麗である上、立居振る舞いも大層優雅です。女性が狐だと知りながらも書生は終に自制が利かなくなって、間もなく白狐と深い仲になりました。
 2か月程して柳書生はいよいよ古里へ帰ろうと心を決めました。書生の決意を聞いた白狐は一緒に帰りたいと言いました。
 「私を連れてお帰り下さいませ。私はあなた様のの妻になりたいのです」

 「それは嬉しいことだが、私は貧乏書生なので、帰る旅費も結婚するお金もないのだ」

 「その様なことはお任せくださいませ。私が用意いたしますわ」

 2人は3日後に旅立つ約束をしその日は別れました。

 3日後、書生は白狐と約束した城門のところに行ってみますと立派な馬車二輛がそこに停まっていました。白狐の姿が見えず柳書生が心配していると彼女は一方の馬車から降りて来、書生の手を取ると元の馬車へ乗り込みました。

 「どこからこんな立派な馬車を調達してきたのか? それにしても馬車は2輌もいらないでしょう」

 白狐は笑いながら

 「わたしは狐の精ですから、欲しいものがあればなんでも手に入れられますわ。馬車は、私たちが乗るものと荷物を運ぶものとで2輛必要でしょう」

 実は、二輛目の馬車には二人が一生涯の間で使いきれない財宝が載せてあると、柳書生は後で白狐から聞きました。

 4、5日後、2人は無事に柳書生の古里に着きました。しかし、柳書生の両親は既に亡くなっておりましたので二人は結婚式を挙げることなく、白狐を鈴児と呼んで一緒に穏やかな生活を始めました。(続く) 


イラスト:満柏



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