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  媛媛講故事―56

怪異シリーズ 25          南柯太守の夢

                                 何媛媛

 唐の貞元(紀元785—805)時代、淳于棼という人がいました。先祖からの豊かな財産を引き継ぎ、その上たいそう豪気な性分で義侠心の篤い男でした。曾ては地方の軍の重要な職に就いていましたが、細事に拘らなかった為、上司の機嫌を損ねて官職を失ってしまいました。その後、あちこちを転々とした後、広陵(楊州)に住みつくようになりました。気に入る仕事が見つからないまま、毎日、酒を飲んでは友人達と語り合って過ごしていました。

 淳家の庭には大きな槐の木がありました。何百年も経た古い木だそうです。大きく広げた枝は重いほどに葉を繁らせていましたので木の下には広々とした日陰が広がっており、梢をわたる風が葉をそよそよ揺らしてなんとも言えない気持ちのいい場所を作っていました。

 南方の九月はまだまだ暑い季節です。淳は大勢の友達と大きな槐の木の下で世間話をしながらお酒を飲んだりして、賑やかな時間を過ごしていました。何時間も飲み続けて淳は酔い潰れて意識もはっきりしない状態になってしまいましたので、二人の友達が淳を支えて東の軒の下の廊下まで送り、椅子に横にさせました。

 淳はうとうとまどろんでいると、紫色の服を着て、使者のような二人の男が淳に近づいて来ました。二人は淳のところに来ると膝まづいてお辞儀をして、言いました。

 「槐安国の国王の命令で淳様をお迎えに参りました」

 淳は心の内で「槐安国という国などこれまで聞いた事はないが。さてどういう国だろうか? とりあえず行ってみようか」と思いながらも立ち上がり、服を整えて二人の後について庭を出ますと玄関の外には、すでに青い馬をつないだ四頭立ての馬車が待っていました。馬車の左右には従者らしい者が七、八人立っており、淳に恭しく手を貸して淳を馬車に引き入れました。

 どこにいくのだろう?と淳が思っているうちに馬車は槐の木の方に向かって走り出しました。やがて、大きな洞窟が見えて来てくると馬車はその中へ向かって進んで行きます。淳の周りには顔見知りの人もいないので訊こうにも訊けず、ひたすら周りの風景を不思議に思いながら見ているだけでした。目に入る風景は見慣れた風景と微妙に違ったとても美しいところのように思われます。緑の山々、滔々と流れる川、青々とした森、名前の分らない草や花…、まるで桃源郷に来ている感じでしたが、風景は段々に車や人通りが多くなって町のようなところにやってきました。

 「注意しろ!道を空けろ!」と御者は大きな声で通行人達に向かって叫びながら、馬車を急がせましたので、人々は足を留めて淳の一行を見送りました。そんな人々の様子を見ているうちに、淳は自分がひとかどの立派な人物になったかのような気持ちになってきました。

 馬車の前方に、幾重にも反り返る軒先の、高く聳える楼閣を備えた立派な城が現れました。紅い城門の、その真ん中には扁額が掛けられ、「大槐安国」と金の文字できらきらと眩いばかりに書かれています。

 淳が乗る車の列を見た門衛が急いで前へ進み出て頭を下げ、お辞儀をしているところへ、城中から馬に跨った兵士が走って来て「王様の伝言でございます。お婿様は遥々お出かけくださいましてお疲れかと存じます。先ずは、どうぞ東華館でお休みくださいますようとのことです」と告げ、一行は東華館へ案内されました。

 案内された東華館は,色とりどりの欄干を巡らせ、素晴らしい彫刻が施された柱の豪華な建物です。庭のあちこちには珍しい樹木も植えられています。建物の中にはいかにも高級な家具が備え付けられています。そして、食卓には手の込んだ食器や酒具がきちんと並べられ、山海の珍味と共に美味しそうな料理も既に用意されていて、いずれも淳の好みに合うものばかりです。

 淳は、ここに来るまで既に半日間も馬車に揺られて確かにお腹が空いたのを感じていましたので、十分満足できるまで食べました。

 食事が終った頃、使者が再びやって来ました。

 「右丞相殿が外でもう長くらくお待ち申し上げております。そろそろ王様に面会する時間ですのでお出かけ下さいませ。ご案内いたしましょう」

 王様にお目に掛かると聞いて、淳は急いで部屋を出ると、玄関の外に紫色の官服姿で象牙の笏を持つ人が礼儀正しく挨拶して出迎え、共に王宮に向かいました。

 ほどなく前方に宮殿らしい建物が見え、建物前の道路の両側には様々な武器を持つ兵士達が並び、宮殿の階段下には官服を着た役人達が多数並んで、物々しい雰囲気を漂わせています。

 淳は緊張気味に頭を低く下げて、右丞相に後について宮殿に上ると丞相に真似て土下座しました。

 「淳様がおいでになりました」と通す声が聞こえると、今度は「おう、そなたが淳于棼(じゅんうふん)殿か?では、楽にして話し合おう」と頭の上でいう声が聞こえました。淳は立ち上がり、頭を上げて、王様を見ました。王様は白い絹の長衣を着て紅色の冠を被り、王座に坐っています。

 「おう、確かに堂々たる美男子だな。お父上様は我が国が小国であることを気にせず、両家の婚姻を承知され、朕の次女をそなたに嫁がせることにした。今夜は、そなたは東華館に泊まり、明日、結婚披露宴をおこなおう。いかがかな?」

 淳は「お父上様」と聞いて、ぼうっとしてしまい言葉が出てきません。実は、淳の父親は何年も前に兵を引き連れて辺境後に向かい、そこで敵と戦っていました。しかしある時、戦いに敗れたと聞きましたが、これまでずっと音信が途絶え生死不明のままでした。

 父親はどのようにしてこの大槐安国の国王と知り合い、またどうしてこのような婚姻を決めたのか?と、淳の頭の中は色々な質問で一杯になりましたが、今はそれを尋ねる場ではないと諦め、黙っているしかありませんでした。そして淳は王様に別れの挨拶をすると再び東華館へ戻りました。                                        (続く)
                                                                    


                         
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