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  媛媛講故事―59

怪異シリーズ 28          南柯太守の夢 Ⅳ

                                 何媛媛


【前号まで】唐の貞元(紀元785~805)時代、淳于棼という人が酔い潰れ庭の大きな槐の木の下で眠っていると、槐安国の国王から迎えが来て、槐安国・国王の次女と結婚した。その後、国王から南柯郡の太守となることを命じられた淳は、友人二人と共に南柯郡の治政に当たった。善政を敷いて人々に慕われ、子供達もそれぞれ成長し、順風満帆の日々を送っていた淳だったが…。

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 しかし、淳于棼の幸せな生活は長くは続きませんでした。

 ある年、隣の国が突然南柯郡を攻めて来しました。淳于棼は南柯郡の治政に功績ある周弁に二万の兵を預け迎え撃たせました。周弁は必死に戦いましたが、結局その戦いは南柯の惨敗で終わりました。幸い、敵は領土を占領せず、金品や財宝だけを奪って撤退しました。

 敗戦の大きな原因は周弁の作戦指揮に大きな誤りがあったことによりました。しかし、淳于棼はすべての咎を周弁に押し付けることはできない、自分も又過失があると思っていました。淳于棼は周弁と共に自分も国王に懲罰を請うことにしました。しかし、周弁は親友であると同時に南柯郡太守の立場にある淳于棼に大変な迷惑をかけてしまったという自責の念から重い病にかかり亡くなってしまいました。親しい友を失って、淳も心晴れない日々を送っていました。ところが日を置かず妻も急な病で亡くなりました。

 淳于棼は郡主として精一杯良い政治を行っていたにも拘らず、短い間に戦争に負け、大切な部下を失い、愛する妻を亡くし、相次ぐ打撃を受けて、まるで天からまっさかさまに地獄の落ちたような気持ちになりました。すっかり気落ちした淳は何をする気持ちも失せて、考えた末に結局太守の職を辞めて、もう一人の友である田子華に全てを委任することにしました。妻の棺と共に都に帰って、都の東に綺麗なお墓を作り自らの手で妻を埋葬しました。

 淳于棼は太守の職にあった頃、郡の政治や、経済、法律などの面で善政を敷き、多くの人々に敬愛されていました。都に帰っても、淳の家を訪れる来訪者が絶えず、帰京の見舞いにくる人もいれば、かつての太守へ挨拶に来る人もいます。また淳と親しく接したいと思う人、どうすれば出世できるのか、その方法の教えを乞う人もいます。淳の家の前はまさに門前市を成すようにいつも賑やかで人が溢れていました。

  このような光景が国王の機嫌を損ねました。

  「淳于棼の勢力がどんどん強くなるのではないか」 
  「淳于棼を取り巻く人々が国を転覆させるような集団になるのではないか」

  国王は心配しました。

  国王の腹心が天象を観察する役人に天運を見させました。そして、

  「星の動きによると、国に大きな災難がもうすぐ起こる。その災難で都を移さなければならなくなります。その災難をもたらす方位は国王様の親しい親類が住む方向を指しています」

  という結果が発表されました。

 この発表で国中が混乱し始めました。国王の親しい親類といえば、誰もが淳于棼のことを思い浮かべます。国王はこの機に、淳于棼の防衛隊を解散させた上、屋敷の周りを国王の兵隊で取り囲んで、淳が外に出ないよう、誰も屋敷内に入れないように厳しい監視を行いました。淳は二十年間もの間、槐安国の為に忠誠心を捧げて来ましたが、その結果がこのようになるとは思ってもいませんでした。

 このような日々が続いたある日、国王が淳于棼を呼びました。

 「我が娘をそなたに嫁がせて二十年間を幸せに過ごしたが、不幸にも我が娘は早く逝った。そなたも長く自分の家に帰っていなかったのう。気分転換に帰ってみたいであろうの」

 淳于棼はびっくりして

 「実家? 私の実家は槐安国にあるのではなかったのですか」

 「そなたの実家は槐安国にはないのじゃ。そなたはこの国のものではない。人間界のものじゃ。忘れたのか?」

 国王の話で淳于棼は突然、既に遠く過ぎ去った日々を思い出しました。広い裏庭、古い槐樹、そして友達とお酒を飲みながら賑やかに過ごしたかつての風景が目の前に現れました。そうです。それははるか昔、自分が送っていた生活です。それはなんと穏やかで暖かい生活だったことでしょう。淳はその頃の日々を思い浮かべると共に「なぜ自分がこの地で無実の罪を着せられて傷つき、冷たい人情に耐えていなければならないのか」とも思いました。

 「そうでした。確かに此処には私の家はありません。ではお願い申し上げます。私を実家まで送ってください。ぜひお願いします」

 国王が手を振ると、紫色の服を着た従者が二人現れました。彼らはその昔、淳を槐安国へ連れて来たもの達です。

 従者は淳を手で招いてついてこいの合図をしました。淳は使者の後について、玄関をくぐりでると、外には、馬車がすでに用意されて待っていました。しかし、その馬車にはやせさらばえた馬が繋がれ、車体も使い古したぼろぼろの馬車でした。しかも紫色の服の二人の従者以外は供する者も居らず、昔槐安国に連れて来られた折の雰囲気とは全く違いました。

 淳于棼は複雑な気持ちで馬車に乗り込み、家に帰る道を進んで行きました。道ばたの風景は、来たときと一切変わっていないですが、その時からあっという間に二十年を経てしまったのでした。

 淳于棼は一刻も早く故郷へ帰りたいのですが、痩せ馬は力なくのろのろ歩くので、実家のある広陵へはなかなか着きません。

 「まだ遠いですか? 後どのぐらいありますか?」

 淳が従者に訊きました。

 「焦るな、もう遠くはないよ」

 長い間、我慢して馬車に乗っていましたが、前方に大きな洞窟のある槐の樹が現れ、馬車はその洞窟を通り抜けると、とても懐かしい景色が淳于棼の目の前に広がっていました。

 広い庭、葉が黒々と茂った樹木、立派な屋敷、可愛がっていた犬、いずれも見慣れて熟知していた景色です。それらは少しも変わっていないのですが、淳自身の頭は既に白髪になってしまいました。懐かしい風景を目の前にした淳于棼の心に悲しみが込み上げて来て、ひとりでに涙がぽろぽろと溢れて来るのでした。

 従者は淳の肩を叩いて告げました。

 「さあ、着きましたよ!」                                                    (続く)
                                                                    


                         
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