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  媛媛講故事―34

                               
怪異シリーズ 2
                                   
                               
杜子春Ⅱ            何媛媛

 翌年、中元の日に杜子春は老人との約束通り「老君廟」の檜の木の下へ行きました。老人は「素晴らしい場所に案内してあげよう。どうだ行かないか」と杜子春を誘いました。杜子春は喜んで承知し、二人は華山の雲台峰に向かいました。

 山に入って、20キロほど歩くと突然目の前に、清々しく、荘厳な雰囲気の建物が目に見えて来ました。お寺のような建物で、美しい雲が高い屋根を覆い、鶴が周りを飛んでいます。どうやら普通の人間が住むところではないような雰囲気です。広い母屋の真ん中に、高さが2、3メートルもある大きな薬を練る為の炉が、紫色の炎を放ち、家の窓や玄関を明々と照らしています。その炉の周りには仙女らしい九人の女性が立ち並び、青龍、白虎が炉の前後に控えています。

 時は、夕方近くで、老人は黄色い冠を被り、紅い上着を着た道士(注1)の姿になりました。老人は、実をいえば元々道士だったのです。道士は白い石のような丸薬三粒とお酒をなみなみと満たした杯を持ってきて、杜子春にすぐに飲むように言いました。杜子春が言われた通り丸薬を口にしお酒を飲み干すと、今度は虎の皮を家の西の壁ぎわに敷き、杜子春に東向きに坐らせて次のように命じました。

 「何を見ても絶対に声を出してはいけない。たとえ神、悪鬼、夜叉、猛獣が目の前に現れても、たとえ恐ろしい地獄の責苦に苦しんでいる親や兄弟等の姿が見えてもそれは一切真実ではない。身体を動かさず、絶対に声を出してもいけない。わしのこの言葉をしっかり守りなさい!そうすれば、お前は仙人としてわしたちの仲間入りができるのだ」

 それだけ言うと道士は去って行きました。杜子春は坐ったまま、周りを見回わしてみました。庭には、水がなみなみと湛えられた大きな甕が置いてあり、それ以外なにもありません。

 いろいろ不思議に思っていると、突然ごうごうとやかましい音があたりいっぱいに響き渡り、軍旗を掲げ、矛と槍を持った大軍が、山や谷を埋め尽くして目の前に押し寄せてきました。其の中に、自分自身も、自分が跨る馬も金で飾り立てた、一際背丈が高い偉丈夫が数百人の衛士を率いて現れ「我こそ将軍なり」と名乗りを上げました。衛士達はみんな弓に矢を番え、杜子春に向かって進んできます。

 「お前は何者か?なんで逃げようとしないのか?」

 将軍は杜子春に訊ねました。杜子春は道士との約束がありますので固く口を閉ざしたままでした。将軍は口を開かない杜子春に腹を立てたようで「殺すぞ!」と轟くような大声で怒鳴り、杜子春に斬り掛かったり、矢を射かけたりしました。それでも全く反応しない杜子春に業を煮やした将軍は為す術なくそのまま引き返しました。杜子春は、これで息が付けるかとほっとしたのも束の間、どこからかまた猛虎、獅子、毒蛇、蝎、毒竜などが何万匹も現れ、一斉に先を争って杜子春の体や頭をところ構わず噛みつき始めました。しかし杜子春はじっと静かに瞑想を続けていました。しばらくすると全てのものが退陣して行きました。

 しかし今度は、バケツをひっくり返すような豪雨が降り注いできました。雷は山を切り崩すかのような激しさで轟き、稲光は天を裂いて閃き、杜子春の回りに火柱が何本も立ったかのように見えました。そしてあっという間に深さ一丈(注2)あまりになるかと思われる水量が庭先まで押し寄せ、杜子春が瞑想を続けているところに届くかのように思われました。それでも杜子春は少しも怯まず相変わらず静かに瞑目して坐ったままでした。

 すると先程の将軍が再びやって来ました。今度は牛頭の悪魔のような連中を引き連れ、煮え立つお湯が入った大釜を杜子春の前に据えました。

 長い槍や、さすまたなどの兵器を持った兵士が杜子春の周りを囲み、其の中の一人が「将軍の命令だ。名前を言えばすぐ解放してやる。さもなくば、このさすまたで胸を刺し心臓を取り出し、釜で煮るのだ!」と告げました。それでも杜子春は全く怯む様子を見せません。

 すると今度は杜子春の妻を庭先に引きずり出して来させると将軍は「名前を言えば、彼女を放してやろう!」といいました。しかし杜子春は相変わらず口を閉じてなにも答えようとはしませんでした。妻は鞭でひどく打たれ、矢で射られ、槍で突かれ、火で焼かれ、お湯で煮られ、体は血まみれになり、その苦しそうな様子はとても見ていられないほどです。

 妻は苦しさのあまり我慢できなくなり口を開きました。

 「私は顔も奇麗だとはいえないし、手先も器用ではない。あなたに相応しい良い妻ではないかもしれません。しかし、あなたの妻として十年あまりもお仕えしました。今鬼に捕えられて様々な責苦を受け、もう耐えることができません。鬼達に跪いて拝んで下さいとは申しません。しかしたった一言、ご自分のお名前を告げて下されば、私を救ってくださることができるのです。人は情けを持つといわれています。どうしてあなたは、たった一言をそんなに惜しむのですか?」と泣きながら、杜子春に訴えました。しかし、杜子春はまるでなにも見ていない様子で動じませんでした。

 将軍は更に言いました。

 「お前がまだ黙っているなら、私はお前の妻にもっとひどいことをやってみせよう」

 やすりを持って来させると部下に命じて、妻の足を少しずつ削り始めました。妻は痛さに身を悶えて、激しく泣き叫びましたが、杜子春は黙したままでした。

 「こいつは既に妖術に惑わされている。この世にそのままで置いては害をなすことになろう」

 将軍は部下に命じ、杜子春を斬らせました。

 斬り殺された杜子春の魂は閻魔大王の前に引き出されました。

 「こいつが雲台峰の妖怪なのか」

 と閻魔大王が言いました。杜子春は地獄に連れて行かれ、熱く焼かれた銅の柱を抱かされ、鉄の棒で打たれ、ひき臼で碾かれ、石臼で搗かれ、火に投げ込まれ、煮立った油の鍋に入れられ、刀の山を歩かされ、剣の木に登らせられ…、などなどありとあらゆる地獄の責苦を受けました。しかし、杜子春は道士の言葉をしっかり心に念じ、なにもかもひたすら耐えて、言葉を発することはありませんでした。

 とうとう地獄の獄卒も為す術なく閻魔大王に杜子春の様子を詳しく報告しました。

 「こいつは陰の気を受けているやつだ。男にして置いてはよくない。女として、宋州の単父県(山東省)知事の王勤の家に生まれ変わらせよう」

 閻魔大王がこのように決断した結果、杜子春は王勤の娘として生まれ変わることになりました。しかし、杜子春の生まれ変わりであるこの女の子は生まれつき体が弱く、次から次へと病気に罹り、針、炙、薬、医者との縁が途切れることがありませんでした。その上、火に落ちて火傷をしたり、寝床から転落したりというような事も続いたのですがそれでも声を上げることは全くありませんでした。

 歳月が経ち女の子はようやく奇麗な娘に成長しました。しかし、言葉を発しないので軽蔑する人やわざと嫌がらせをしてからかう人もいましたが、どんなに悔しい時も彼女は何も言わず黙ったままでした。

 同郷に盧硅という進士(注3)が彼女の美しさを伝え聞いて妻にしたいと申し入れて来ましたが、両親は彼女は話ができないからと首を縦に振りませんでした。けれども盧硅は「美しく性格の良いひとなら夫婦に言葉などは必要ありません。是非私の妻になって頂きたいのです」と心を籠めて自分の気持ちを彼女の両親に訴えました。両親は「そのようにまでおっしゃってくださるなら私たちも安心です」と縁談を纏めることにし、盧硅は六礼(注4)を用意して彼女を妻としました。

 夫婦となった二人は仲睦まじく幸せな日々を送り、数年後、賢く可愛い男の子に恵まれました。男の子が二歳になったある日、盧硅は子供を抱いて、妻に話しかけました。しかし、妻からの返事はありませんでした。盧硅は何とか妻の返事が欲しいと思い、色々と試みてみましたがどうしても彼女の返事を引き出すことができません。盧硅は返事を貰えない苛立ちから少しずつ怒りを募らせてゆきました。

 「昔、賈大夫(注5)の妻は大変な美人だったので、容貌の醜い夫を軽蔑して口を開かず笑わなかった。しかし、その夫が雉を見事に矢で射落したのを見て、其の才能を認め、わだかまりを解いて仲の良い夫婦になったというではないか。私は、雉を射るのでは賈大夫に及ばないかもしれないが学問では引けを取らぬ。どうしてなにも話してくれないのか?それほどまでにお前が私を軽蔑しているというのなら、二人の間に息子がいても何の役には立たぬ!」

 盧硅は話しているうちに更に興奮し怒りに我を忘れ、遂に子供の両足を掴むと、ま逆さまに石に投げつけました。子供の頭は割れ、その血が周りに飛び散りました。彼女は我が子を愛する心と我が子に加えられた残酷な仕打ちに耐えられず、ここに至って道士との約束を忘れ、遂に「あっ」と叫び声を上げてしまいました。

 杜子春は自分が発した声に驚いて正気に戻りました。周りを見ると、杜子春は最初に道士に座っているように命じられたところにまだ座っており、その道士も杜子春の前にいます。時刻は未明のようです。

 「そうだ、先程迄のことは全部真実ではないのだ」

 杜子春がそう気が付くや、突然寺院風の建物の屋根の上に紫の炎が走り瞬く間に周りは火の海となり、見る見るうちに建物全て焼け落ちてしまったのでした。

 「お前!この貧乏人め!なんという迷惑なことをしでかしてくれるのか!」

 道士は憤懣やるかたなく大声で怒鳴り散らし、杜子春の髪の毛を掴んで頭を水の入った甕に押し込むと、火は忽ち消えたのでした。

 「お前は、喜、怒、哀、楽、恐、悪、欲などを忘れることができた。が、愛を忘れることができなかった。子供が投げ殺された時にお前が声を出しさえしなかったら、私の薬は完成し、お前も仙人になり天に昇れたものを。ああ、仙人になることはなんと難しいことだ。薬はもう一度作り直すことは可能だが、お前はやはり俗世界に戻らなければいけないようだ。これからは勤勉に生きなさい」

 道士は杜子春に告げて帰り道を示しました。杜子春は焼け崩れた建物に上って、母屋を見ると、薬を作る炉は既に壊され、炉の真ん中に一本の太く高い鉄の柱があり、服を脱いだ道士が刀で其の柱を削っていました。

 杜子春は家に戻りました。しかし、道士が命じたことを守れなかったことが悔しくてたまりませんでした。再び道士のところに戻って、一生懸命仕えて、自分の犯した過ちを謝罪したいと再び雲台峰に行ってみました。しかし、道士どころか、お寺の跡も見つけることはできず、悔しい気持ちを抱いて家に帰るしかありませんでした。(終)

注1)道士:中国本土の宗教である道教を信奉する人。
注2)丈:長さの単位、一丈は約3.3メートル
注3)進士:昔、中国の官吏登用試験の一つで、それに合格した人。
注4)六礼:昔中国で婚姻関係を結ぶ時に行う六つの礼儀 作法。注5)賈太夫:大夫は昔の官吏の身分。賈大夫は、史書の「春秋左  氏伝」に登場した人物。



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